nirefusaのブログ

減酒に取り組む夫と生きていくことを決めた妻のブログ

私も同じことの繰り返し

こうして私たちにとって平穏のような日々がくる。 夫は休みの日に飲み過ぎて絡んでくる面倒な人。くらいになった。 そうなると、私はアラノンに行かなくなった。 色々学んだつもりだったが、だんだんと忘れて、飲酒に口を出すようになる。 そしてトラブルも増えてきた。こうしてまたアラノンを再開するのだが、正直に言うと、みんなが断酒している中で、うちは節酒しかしていない、さらに私も一緒に飲んでいることもあるなんて言えるはずもなく、だんだんと足が遠のいてしまう。 結局アラノンへ行っては辞めて、行っては辞めてを繰り返しているうちに、節酒に落ち着きはじめる。

虐待に類するということ

子どもにとってアルコール依存症者のいる家庭はそれだけで虐待といえるらしい。 もっともな話だと思う。私だって、いつからまれるのか、ドキドキしていた時期があったから、これが子どもだとしたらかなり大きな精神的苦痛だと思う。 私は今不妊治療をしている。うちの夫婦に子どもが生まれたら、その日からその子に虐待が始まるということだ。 私は理解した上で不妊治療をしているつもりだ。やわな期待かもしれないけど、子どもが生まれたら何か変わるんじゃないかと思ったりもする。 きっかけ待ちと言ったらおかしいけど、そんな気持ちだ。

自分の問題

アラノンはアルコール依存症の家族会で、おおまかに言うと、自分の経験を話したり、自分と向き合うことで改善を目指すプログラムだ。アルコールを辞めてもらうことは目的ではない。 私は初めて行った時、被害者丸出しで泣きながら夫にどんなにひどい目にあわされたかを語った。 最初はこまめに通い、プログラムも一通り終えた。 その過程で、夫に問題があるのではなく、私自身に問題があることに気づくことができた。 そして、今までアルコール依存を悪化させてきた一翼を担ってきたことにも気づく。 夫は最初は私がしつこかったので、断酒をしたりしていたが、マンションの下で飲んでいる様子があったりした。 でもアラノンに通うようになり、私も夫の飲酒に口出ししなくなっていたので、徐々に次の日の仕事に響かない量のお酒をのむようになった。もちろんその量では泥酔することもなかった。 夫の仕事は週休1日なので、休みの日は浴びるように飲んでいた。 私は絡まれることがイヤで、そろそろやばいなと思ったり、からまれはじめると外出した。 警察には自分の身を守ることを第一に考えなさいと言われて初めて、他の人に迷惑かけるくらいなら私が犠牲になれば良いなんて考えは捨てた。 家で暴力を振るわれそうになったら、ドアの外にだして110番しなさいと。 家の中での事件には警察は介入できないからと。 結局近所のことも気になり、私が外出することで、多少のもめごとはあれど、 大きな事件は起こらずに今日に至っている。

アルコール問題 職場の反応

夫の職場に休む連絡は私がするしかなく、正直に話した。いつ釈放されるかもわからないし、もうこんなに迷惑をかけて申し訳ない。ただそれだけで。 その反応は本当に人のやりくりに難儀していたのかもしれないが、「いつ戻ってくるのか」というもので、真面目に働いていたことを知る。 正直、アルコールチェックにもひっかかっていたし、じゃあもうこなくていいよ、となるかと思っていた。 そして転職をきっかけに夫にシラフの時間が増えて、「もしかしたらシラフを知らずに結婚したのかもしれない」と恐ろしいことに気づく。 結局1週間で釈放され、その日に飲みにいった。これが最後だからと。 私はもう飲まないこと、病院へ行くことを条件に離婚は今はしないと言った。 職場で怒られたのかどうかは知らないけど、急に1週間も休んだことで色々な噂にはなっていたと思う。でも上司が「モルディブに行ってたんだろ?」とやさしさなのか、いじりなのかわからないけど、うやむやにはしてくれたらしく、今度アルコールチェックにひっかかったら退職という文面のサインをして、信頼を取り戻すのに2年はかかると言われた。 その2年をもう過ぎた。 よく耐えたと思う。風当たりの最初は強くて、干された様子もあった。 そして、この警察沙汰をきっかけに私はアラノンに行く決心をする。

アルコール調節障害について 3

自営業は結局連鎖倒産のような形で終わりを迎えた。倒産ではなく事業譲渡という形で終われたのは、 救ってくれた人がいたということだ。そして、夫は無職になる。自営業しかしてこなかった彼には転職活動はできないだろうし、本当にどうなるのだろう、と思っていたら、意外にも仕事をみつけてきた。夫の転職方法は、近所で飲み歩いた先で「無職になっちゃったよ」といろんな人に言ってまわるという方法だ。 そんな転職方法ってあり?さすが昭和の男だな、まるで戦後?と思う方法だったけど、 ここでも救ってくれたのは人だった。 しかも、それが運送業だったことがお酒と距離をおく大きなきっかけになる。 運送業は就業前にアルコールチェックをしなければならない。転職当初はチェックにひっかかり、散々注意されていたにもかかわらず、お酒の量が調整できなかった夫は泥酔して、自宅で私ともめて、「そんなにおれが悪いならおれが警察に連絡してやる」と警察を呼んで連行されてしまう。 本人は、これまでも酔っ払って警察にお世話になったことがあったので、次の日には帰してもらえるとタカを括っていたらしいが、今回は私が警察に被害届をだしたことと、前歴(前科ではない)があったことで1週間拘束されることになる。 この時、私は警察の人に「これは普通じゃない」と説得されて、被害届をだすことになる。 気づいていたけど、自分たちはなんとかやれていると思いたい気持ちと、これまで受けた被害を思い知らせてやりたいという復讐の意味と、もう自分たちだけで解決するのは無理だという気持ちと、結局は私の中でもう限界だったんだと思う。 警察は離婚を強くすすめた。もちろんそうだろう。私だってそう思う。 それを思いとどめたのは、夫の転職先の反応だった。

アルコール調節障害について 2

夫婦そろってお酒を飲むって最高じゃん?みたいになっていた私たちは、毎日近所の飲み屋で泥酔してはケンカというか、体力的に夫が勝つので私は常に被害者だった。 その当時は自営業も赤字がひどくなっていていて、このまま続けてもいつかはだめになるとわかっていながら辞められなかった。もちろん私は他で給料を得ていたので、私の収入で暮らしていたようなものだ。 今思えば、お酒に逃げずに経営と向き合っていれば、もっと迷惑をかける人も少なくて済んだのだろう。 でも常に酔っていた夫には冷静に考えるひまはなく、世間知らずで変にポジティブになっていた私もいつかビッグなチャンスがやってくる、みたいな考えがあった。 本当は追い詰められていたのに、虚勢だったんだと今なら思う。 周りの人にうまくいっているかのように取り繕うのはアルコール問題を抱えている証拠だ。 自己啓発本に逃げて、謙虚が大事とかいいながら、本当に傲慢だったと思う。 心理学の本を読んだり、彼は心の傷があるから、とか他の原因を探すことばかりで、明日自分はどう行動するか、ということが考えられなかった。私もお酒に逃げていたのだと思う。

アルコール調節障害について

私がブログを始めたきっかけのひとつに夫のアルコールの問題でどうしたら良いか行き詰まった時に助けてもらったのがブログだったからというのが大きい。 夫とは知り合って10数年経つが、その間アルコールによる暴言、暴力、警察沙汰、経済的問題、毎夜暴れていたので大家さんに家を追い出されたこともある。 これは過去にあったことで、今は落ち着いてきているからやっと書けるようになったのだと思う。 そして、アラノンという家族会で自分のことを語る機会をもらったことも大きいと思う。 おおまかにいえば、色々あって、病院へつれていったところ、過去のエピソードから即座にアルコール依存症の診断がでた。ただ健康状態は問題なかったので、本人は受け入れたのかどうかはわからない。 本人も色々と検索をしては、自分のお酒の飲み方を改めたいと思っているようだった。 出会った頃夫は自営業だった。親が借金を残したまま亡くなって、一人っ子で、母親も他界していたので 借金と経営状態が最悪な会社だけが残っていた。 亡くなる前には親の介護もしていたという。 そんな中、先細りが明らかな業界で自営業をしていたことは過度な飲酒を加速させていたと思う。 その頃夫と私は近所の飲食店で知り合い、今となれば恋愛なのか、共依存なのかわからないけれど、すぐに半同棲のような生活が始まった。 これまで私は典型的な「いい子」「いい人」だったし、私自身もまぁまぁお酒が強かったので、 大声で誰かと言い合う、喧嘩するという経験がなかった。 夫と知り合って、泥酔するまで飲んで、大声で喧嘩して、という生活は、その当時はイヤだけどイヤじゃない生活だった。 遅い反抗期みたいなものだったのかもしれない。 それに私は母がとにかく強かったので、母のいう通りにしなければという思いが強かった。 夫にとってはそれはおかしいと思う部分も多くて、そういう面でも喧嘩した。 今思えば、私自身が共依存で、その対象が母から夫に移っただけだったのだろう。