nirefusaのブログ

減酒に取り組む夫と生きていくことを決めた妻のブログ

夫と結婚した理由を実感する時

今回のコロナの影響で美容室でカラーとか長居するのを嫌がっていたため、ある日坊主にしてきた。 0、3ミリ?とか地肌が見えるほどに。 なのに毎日シャンプーとコンディショナーとドライヤーをしているから、する必要なくない? と言ったら、「この毛はいつかの毛先でしょ。」と言われた。そうだね。。。 出会った頃に、どんな高校行ってたの?と聞いたら「中卒みたいな高校。」と言われた。。。わかりやすい。 そして、自営業が借金だらけと知ったとき「借金で人は死なないから。アハ。見栄で死ぬんだから」と言われた。。。自殺者多発の不景気の時にこの発言。この人ちょっとおかしいのか? 若いころいろんな企業の人たちと合コンしたけど、全然惹かれなくて、きっと私は自営業の人たちに囲まれて育ったので、集団行動の得意なサラリーマンがダメだったんだと思う。 自分に自信がない私にとっては夫の根拠のない自信は不思議だったんだよな。お酒のせいか? でも、今も夫の謎のポジティブに救われることがあるのは事実。 私がこの人を選んだんだな、と選んでよかったなと思うこともたくさんある日々です。

不妊治療とアルコールの問題

夫がアルコールにどっぷりだったころ、正直に言って、性生活はほとんど不可能だった。 なので、結婚以来、いわゆるレスに近い状態だった。 私は34歳までに出産しないなら子どもはいらないと言っていたし、今住んでいるマンションもこども禁止だ。だから私の中ではこどもはあきらめたつもりだった。 それが色々あって今不妊治療をしている。 アルコール依存症の症状に性的に不能になるということがある。 もちろん夫はそれを私に女らしさが足りないからだ、等々とにかく自分のせいではなく、私を責め立てていたので、私はもともと低かった女性としての自信をさらに失くしていった。 まだ私は女としてやれる!という自信があれば離婚に踏み切れたのかもしれないが、そうはならず、ただただ女としてはもう終わりだな、と思って生きていた。 性生活を持つようになったのが先か、子どもが欲しいと思ったのが先か今ではわからないけれど、夫婦にとって性生活の復活はアルコール依存症の回復のしるしのような気がしている。2人で前に進もうという共通の目標というか、また飲み過ぎれば不能になることは目に見えている分、良い緊張感があるのかもしれない。今は何の結果もでていないのでそこまでしか言えない。

飲んでもからまれない私

昨日は夫が休みだったので、万が一飲み過ぎても大丈夫なように万全の準備をした。 結局私は18時から20時までゆっくりお風呂に入っていたら、その間に寝ていた。 そして0時過ぎに起きてまた飲み直したようだが、翌日の仕事を考えると3時間くらいしか飲めなかったのだろう。 結局、ちょっとテンション高く、床屋でやや感じ悪いことを言ったようだが、私はからまれることなく1日が終わった。 この時の気持ちをいつも不思議に思う。 「あぁよかった」という安心感の中にわずかに「なんか物足りない」気持ちが混ざっているのだ。 からまれたいわけではない、でも、被害者でありたい、何か文句を言いたい、そういう気持ちが湧いてくる。私の中にまだ恨みや怒りが残っているということだ。 そして嫌味を言わずにはいられなくなる。 これは完全に私の課題で、夫の成長を妨げている。 私の回復もまだ道半ばである。

夫が休みの日の憂鬱

今日は夫も私も休み。夫にとっては週に1度の量を気にせず飲める日だ。 以前はこの日が恐ろしくて仕方なかった。 今は少し恐怖が減ってきている。備えあれば憂いなしだからだ。 前はまず休みの日に飲むことに対して口出しをしたり、嫌味を言っていた。だからケンカになり、家から追い出されたりした。急に追い出される、または逃げ出すと着の身着のままで、靴下なくて寒かったり、メガネなくて何も見えなかったり、ブラジャーしてなかったり、大変なこともあった。 今日は私はまず、車に逃げ込めるように車のキーを玄関にあることを確認。 カバンにお財布など必要なものを詰めておく。 お風呂に入っておく。でたあとも、ジャージとナイトブラとTシャツと靴下ははいて、そのまま寝ても良いし、追い出されても車ならギリギリコンビニやドライブスルーがOKな格好をしている。 こうして自分が万全の対策をしていると夫はそんなに飲むこともなくからまれないまま寝た。 結局、どれくらい飲むか、とか夫に注目するからからまれるのだと思う。 夫も最近は飲む→寝る→飲む→寝る→飲む→次の日のアルコールチェックに引っかかる時間になるので強制終了。これは自分で管理できている。 今までは眠いから眠気に負けないように飲むという何かよくわからない戦いをしていたが、最近はそれをあえて辞めているようだ。

飲酒発作

この言葉の意味が理解できるとアルコール依存症を病気だと思える近道だと思う。 正式な名称ではないかもしれないけれど、寝起きでビールがない!とコンビニへダッシュする姿はまさしく発作だと思う。もういてもたってもいられない!となっているのがわかる。 今まではそういう時に嫌味を言ったり、引き留めたりしてかえってややこしいことになっていたれど、 最近はそういう姿をみても「あ、発作起こしてる」と思うようにしている。 私が何かを言えばトラブルになるのは必至だが、何も言わなければトラブルにならないことも多い。 うちの場合は本人が納得すれば深酒にならないこともあるからだ。 そうやって私が冷静になることで、自ら気づき始めることもあるのだと思う。 つい先日、あーこれはちょっと自分を失い始めてるかも、というくらい飲んだ時に、からまれた。 お前女だろ?なんでこんなこともできねぇんだよ。と。あ、これは避難か? と私が思ったら「なーんちゃって。もうからまないよー」と冗談にした。 その日はそのままからまれずに終わったけど、この経験は初めてで、ちょっと驚いた。 私自身、お酒を飲んで言いたくないことを言い始めると自分でわかる時があるので、そんな感じだったのかなぁ。予想しても、期待しても仕方のないことなので、ただびっくりした、という私の感想で終わらせる。

断酒か節酒か

結局夫は節酒しかしていない。 今アルコール依存症という名称をアルコール調節障害という名称にかえようという動きがあるらしい。 私は個人的には調節障害の方が良いと思う。 夫をみているとのみ始めたら調節きかないなーと思うからだ。 そして治療も断酒一本やりから節酒でも良いではないかという方向になっているらしい。 うちの場合は節酒になるんだろうな。 断酒して!とあれこれ策を練ったこともあったけど、ぎゃーぎゃー言って、自分にも嫌気がさして、言う方も言われる方も幸せじゃなくて。 今は仕事に支障のない範囲で飲んで、休みの日に多めに飲むけど、本人にこれ以上はまずいという察知能力が少しでてきて、そんな時はカップラーメンとか、とにかくお腹をいっぱいにして寝るという対策をとっているようだ。 結局飲む以上リスクは背負う覚悟が必要だし、世間に迷惑をかけないように最大限注意するべきだと思う。「私たちはアルコールに対して無力である」というアラノンの冒頭にある言葉を謙虚に受け止めることがスタートだと思う。 結局私は最近はアラノンには行っていないが、毎朝本を読んで、自分を戒めるようにしている。

お酒が減った原因

答えがでていないけれど、夫をみていると、お酒との付き合い方が変わってきていると思う。 相手の飲酒量を気にしてはいけないのだけど、そう思う。 その大きな理由として、会社で自分が認められてきたことがある。 これまでアルコールチェックを受ける側だったが、アルコールチェックをする側の仕事もすることがあるそうだ。それはかなりプレッシャーになっていると思う。 もう1つは経済的に安定してきたことだ。 これまで自営業と私の収入ではギリギリ生活はできても、会社の税金など、払い切れていないものもたくさんあった。 これらを数年かけて、2人の給料から返済して1つずつ完済した。融資はまだあるが返済の目処も見えてきた。 お酒にかけたお金を考えれば払えていたのだろうけど、今更それを言ってもしょうがないし、滞納した分余計に支払いもしたので許して欲しいと思う。 本当に地獄のような資金繰りで、お金を1円単位までかき集めて、銀行に行けば貸せないと言われ、不渡りをだす寸前までいって、取引先に土下座をしたこともあったようだ。 常に頭の中はお金のことでいっぱいで、節約するとか、 そういう単位じゃなかった。 コロナの影響で自殺する中小零細企業がでないことを祈るけど、そうしないと逃げられない辛さもわかる。 夫にとって今の仕事はやったことのない肉体労働で、 側から見ればブラック企業なんだろうけど、行けばお金がもらえるんだからこんなに楽なことはないと、10キロ以上激ヤセしたにも関わらず言っていた。 やはりお金の心配は人間を壊す。